私を救ったエロw


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前回ちょっと長くなったので、続きを描きます。
私はエンジニアとして、家族を支えながら生きています。結局私の生活基盤はITエンジニアとしての収入によって支えられています。では、なぜ私がITエンジニアになったのか・・・これは私がPCについての経験を活かすことができたからですが私はIT系の専門学校を出てもいませんし、工学部を出たわけでもありません。文系で商学部出身です。でも、私がPCに触れる大いなるきっかけを作った、人生の転機は小学4年生の時に訪れました。今考えると、小学4年の時の「あの事件」がなければ今私はITエンジニアにもなっていないし、今ここでこのブログを書いていることもなかったでしょう。
「あの事件」とは一体何だったのでしょうか?これについて今回は触れようと思います。それは小学4年の時、私の友達が「うちに来ないか?」と誘ってくれたので、その友達の家に行きました。そうするとその家にはPCが鎮座していました。「このコンピュータはお父さんのものなんだ」とその友達がいい、PCを操作し始めました。へぇ〜PC操作できるんだ。と感心してみていました。その当時友達の家にあったPCは忘れもしないシャープのMZ-80という機種です。
↓こんなやつ。

その当時、超カッコいいと思っていました。でも、今見たらレトロですよねw
画面はグリーンディスプレイで緑一色しか出ません。解像度もめちゃくちゃ荒くて、今のPCとは比べ物にならないです。で、その友人は野球拳のゲームを起動しました。この緑色の画面でジャンケンをして負けたら画面の上の女の子が1枚ずつ脱ぐのです。小4の私は猛烈に興奮w
小学4年といえば、別の友達の家で、親が居ない時に父親のものだと言ってエロ雑誌(結構過激なやつ)を見せられ、性に目覚め始めていたこともあり、マセガキだった私は、このPCの野球拳で想像力も膨らみ、ついでに股間もMAXに膨らんでいましたww
そのソフトの画像は以下です。まだ全部脱いでないですが・・・w

こんな画像で興奮できる私って・・・www
その翌日から、私は母親にコンピュータを買って欲しいとせがんでいました。
当時としてはPCは高額です。それこそ全部揃えたら、ビデオデッキより高いですから「買って、買って」とせがむ自分は無謀だったと思います。しかし、私の母親はついに根負けし、ついに私にPCを買い与えてくれました。それからというもの、BASICマガジンという雑誌を見ながら読者が作成し投稿したプログラムを打ち込んでゲームを作っていくということをしながら、段々とプログラミングを理解していくようになりました。この時の知識が現在のわたしのプログラミングの知識のベースとなっています。大学生になる頃には、いろんな言語を学びました。商学部出身ですが、わたしの卒業論文は「C言語による経営分析」というテーマでした。財務諸表を入力すると経営指標を計算して出力するようなソフトウェアを設計・開発しました。なかなかバグが取れずに卒業までに完成できなかったのですが何とか単位をもらいました。それも今となってはいい思い出です。

今考えると、この小学4年のあの事件がなければ今わたしは何をして生きているんだろう。全く想像もできません。少なくともあの事件が今のわたしの人生を支えていることは間違いありません。なので、わたしを救ったのは紛れもないエロであり、それをわたしに教えてくれた友達だったんだと認識しています。

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