我慢しない生き方の矛盾


プログラミングファン

今回は批判めいた記事を書こうと思っているわけではありませんので最初にお断りしておきます。

よくあるじゃないですか、自分を解放して自分の魂が喜ぶことをしなさい。だとか、我慢しなくたっていいんだよ。・・的な、自分を苦しい状態に置くことなく解放した生き方のすゝめみたいな話。

この手の話を否定するわけじゃないのですが、受け取り手によっては危険なことに見えてならないのです。

この自分を解放した生き方、我慢しない生き方って、条件があると思うのです。

自分に素直に生きることは大いに良いことだと思うのですが、自分の喜ぶことが他人の迷惑の上に成立するものであってはならないのです。この1点は絶対に譲れない条件だと思うのです。

でも、この条件を言う人って見たことがないのですよ。だから、一部の利己的な生き方をしてきた人達が、この手のアドバイスに乗っかったら世の中めちゃくちゃなことになると思うのです。

常識的な範疇などの曖昧な表現もどうかと思うのです。

なぜ私がこんなことを言うかというと、やはり世の中には普通じゃ考えられない思想の持ち主が一定数存在していることを見ています。誰が見ても不快なことを平気でやる。でもご本人の中では常識的な行動だと思い込んでやっているフシがあります。

この類の人たちが自分を解放してしまったら、恐らくひどく周囲に不快なことをしまくるんだなと予想します。

抑圧的に生きていて苦しい人、ひどく我慢を強いられていて重圧に生きている人ならば良いでしょうけれど、無差別的にこのようなアドバイスをするのは危険だなって思った次第です。


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