
私の周りを見ていると、承認欲求の強い人が結構多いように思います。
なんかね、この感情は捨てた方が良いと思いますよ。私は著名人に認められたいとも思わないし、サラリーマン時代でも、上司や社長に認められたいなんて思ったことがありません。
これは、今となっては親に感謝しなきゃと思います。私は父親が厳しくて、褒められたことも認められたことも記憶にはありません。中学生の時、全校生徒1500人くらいのマンモス校で1学年500人くらいいました。その中で理科満点私1人だけということがありました。500人いて私だけが満点なんてとても嬉しかったのですが、家に帰ったら父親に「1科目くらい満点とったくらいでなんだ!」って怒られましたwww
ちょっと悔しかったのですが、親に認められたいなんて思っていなかったので、認めてもらえないことについては違和感はなかったのですが、流石に「少しくらい褒めろよ」って思いましたw
まあ、それは置いておいて、私の現在の考えは、誰かに認められたくて生きているわけでもないし、本質的に、自分が世の中の役に立てれば良いのだと思っています。それが生きている意味だと思います。
仕事を前提にすると、提供する商品やサービスはお客さんに認められる必要があります。そうでなければ世の中に役に立つことはできないですから。
でも私の周囲を見てみると、自分自身を認めてもらいたいと思って生きている人が多すぎるように感じます。認められるのは自分が世の中の役に立つことができる人間であれば結果として周囲は認めてくれるでしょう。
あくまでも、認められるのは「結果」であって「目的」としてはいけないと思います。
私は承認欲求が強い状態においては、どうしても動機が不純に思えてならないのです。
少なくとも私は、正しく生きて結果を出していきたいと思いますw