可能性を否定しない生き方


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結構頑固な人に多いのですが、人の話をすぐに否定する人って一定数いますよね。こうじゃないのか?って言ったら「違う!」ってすぐに否定する。さらにタチの悪い人は、こちらが話している途中なのに、人の話を最後まで聞く前に「違う違う違う!」って反復して言うwww もうなんだかなwって思います。

「違う」ってすぐに言う人の共通点は、否定して自己主張する「正しい答え」は自らの経験だったり、他人の伝聞だったりします。結局根拠がないのが多い気がします。自分が常識だと思っていることを盲目的に押し付けてくる感じですよね。そりゃさぞかし正しいんでしょうな。スクナクトモオマエノナカデワナw

私はそのやり方はあまりお得な生き方じゃないと思うのです。「違う!」って否定したらその時点で「可能性を見失う」ということです。

ツイッターやFBのコメント欄でいきなり否定や批判を書き込む人って何なんでしょうね。投稿者に対して自分が思う「常識」を押し付けたいのでしょうか?嫌なら見なきゃいいのにw

一旦は、そうなのか?そうかもしれないのか?ってまずは自分が今まで常識だと思っていたことを疑うことを一旦やった方が良いと思うのです。そうすれば新しい考え方や視野が広がることもあると思います。

最近は、ネットやテレビなどを見ていると、情報が思いっきり食い違うものが多く見られます。もう何を信じたら良いのかわからない状態だと思うのですが、こういう全然見解が真反対の情報については真実はそう簡単に出てくることはないと思うのです。私は、一旦可能性としては双方「そうかもしれない」という前提を置いて、それぞれの情報を提示した人の意図を考えるようにしています。わかる人にはわかると思いますが、真反対の情報が出ると、脊髄反射的に陰謀論だっていうやつw
私はこれらを見ると、陰謀論だという人の精緻な反論を見たことがありません。理由はネットにある情報は嘘だらけとか・・なんじゃそりゃw
逆に陰謀だと主張する人はそれなりの理由が表明されいてるものが多い感じもします。その反面、情報を撹乱するためにわざと書いているようなものもあります。結局真実に辿り着くのは困難なのです。

このような場合、この情報を出すことによって誰にメリットがあるのか。また、情報提供者に何のメリットもないことを善意で書いているか。何らかの悪意があるのか。そんな感じで情報提供者の意図や動機を汲み取る努力をすれば、おそらく正しい情報はこれなんだろうなと言うのが見えてきます。

このような見方をする姿勢を続けていると、真実に到達できなくとも真実に近い近似解が得られると信じます。

いずれにせよ、盲目的に自分の感覚に合わないから「違う!」と切り捨てる生き方は損しかないと思います。

否定は、視野を狭めます。
否定は、友人を減らします。
否定は、真実から遠ざけることもあります。

私は、「そうかもしれない。」とまず思う姿勢、そしてそれを鵜呑みにせず検証する姿勢を大切にしています。

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